先生の一言
私は小学生のとき運動が苦手でした。徒競走はせいぜいビリから2番、持久走も真ん中より順位は下。ましてや、球技は大の苦手で、野球をやらせるとゴロの半分はトンネルしていました。運動音痴と言ってもいいレベルです。運動会の晩は父が毎回「俺は運動がダメでな、走ると同級生100数十人でいつもビリから2番目だった。1番ビリは担任の先生が走ってたんだがな・・・。」と一人で大爆笑して私を暗に慰めてくれました。勉強、勉強・・・と口うるさい父でしたが、心の優しい素朴な人だったと思います。
そんな私の小学校5年生のときのお話。
それが、体育の授業だったのか何かレクリエーションの一つだったのかは思い出せないのですが、野球かソフトボールのゲームに出たことがありました。私のような「超」がつくほど野球が苦手な者がなぜ選手になったのか?案の定、私が大エラーを犯し試合に負けたのです。
試合が終わって、直接私に文句を言ってきた人はいなかったと思いますが、陰口を言われているのはわかりました。「あそこで三宮が取ってればなー。」「(私のところに飛んできた打球について)大した当たりじゃなかったよな。」「あんなゴロ、ふつう取れるよな。」・・・私はもう穴があったら入りたい気持ちでいっぱいでした。
教室に戻り、帰る時間になったとき、先生がその野球の試合に触れたのです。
「負けたチームには負けた原因がある。みんなそれをよく考えろ。今日は三宮が大事な場面でエラーをした。」みんなうなずいています。私は顔を上げることもできず、泣きたい気持ちでいっぱいでした。
「三宮のエラーで負けたことは明白だ。でもな、俺は三宮を責めたりはしないぞ。三宮はもともと球技が苦手だし、野球チームにも入っていないことはみんなも知っている通りだ。だから、エラーするのも仕方がない。それにな、三宮がもし野球チームに入ってみんなと同じように練習してみろ。そしたらこいつは、ただの一つもエラーなんかしなくなるぞ。三宮とはそういう男だ。・・・」
あの時の気持ち、何と表現してよいかわかりません。
渡辺先生、当時の学級担任の先生です。エラーをしたことは指摘しても、エラーをしてしまった私自身を否定はしなかった。むしろ、肯定してくださった。あの日、エラーしたことをずっと引きずることなくその後を過ごすことができたのは、渡辺先生のこのお話があったからです。
先生の一言で、生徒は下を向くこともあれば上を向くこともあります。40年以上たったというのにこの話は私の心に今でも残っています。皆さんにもそれぞれ同様のご経験があるのではないでしょうか。
渡辺先生には小学校卒業後も欠かさず年賀状を出していましたが、数年前、奥様から先生が亡くなられた旨返信をいただきました。改めてあの頃のご指導に感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。