予想をするから楽しい。
「予想はよそう」などというタイトルの記事を書いたばかりでこんな記事を書くことをお許しください(笑)。
生徒に教えていて、学力レベルによって共通項があるように思うことがいくつかあります。
その中で今日は「予想力」みたいなものについて考えてみます。
皆さん、クイズ番組を見ますか。クイズ番組の何が楽しいですか。さあ、どうでしょう。
ものすごくできる、何でもわかる天才のような回答者をリスペクトする人、でもそんな天才でもたまにはわからなかったり、間違えたりするところに人間味を感じられるからいいのだという人、自分がどれくらい正解できるか真剣に挑んでいる人、など楽しみ方はさまざまかと思います。
でも、視聴者の多くは問題が出たとき、頭の中で正解を考えようとしていると思います。○×クイズなら、○か×か一所懸命考えるでしょう。
それが大事なのですよ! 勉強にも。
私は答えや解き方をすぐに教えません。なぜなら、解法教えたらできるに決まっているからです。クイズ番組で言えば、「この問題の答えはバツだよ。じゃあ、答えはどっちかな?」と言っているようなもの。
自分の頭でまず正解に向かって頭を使わなくっちゃ駄目でしょう。
学力の高い層は本当にどうしてもわからない時以外は自分で何とか答えを出してやろうという力がみなぎっています。
ところが、学力の低い層の生徒は、なかなか自分の頭で考えようとしません。まず、教えてもらうことばかり考えています。別に教えたっていいんです。教えるのは造作もないことです。
ただ、それでは学力は全く伸びないのです。教えてもらった問題を何回も繰り返し、自分のものにしてくれるのなら喜んで教えます。しかし、多くの生徒は答えを聞いて、回答欄が埋められた瞬間にその問題のことを忘れるのです。解き方など全く身につかないでしょう。何も頭を使っていないのですから当たり前ですよね。
クイズの答えを予想することはやるのに、勉強になるとそれをしなくなる。予想がないから答えを聞いても感動がない。「ああ、そうですか」で終わってしまう。実に無味乾燥です。
なぜ、予想しないのか?なぜ、考えないのか?
もちろん「わからないから。」なのでしょうが、それでは楽しくならないですよね。
わからないながらも「こうなんじゃないか?」「もしかするとこれかも!」などと考えることによって、そのあとに解き方が分かったとき、「全然違ってた。」「惜しかったなー。」「わかるわけないじゃん。」と気持ちが揺れます。「クソー!」「ヤッター!」どちらでもいいから、そういった感情が生まれるようにしましょう。
漫然と授業を受ける、漫然と本を読む、どれもつまらない。やめましょう。
楽しくするには予想してみたり、仮説を立ててみたりすることが大切です。映画やドラマ、漫画、小説に引き込まれるのは、「この後一体どうなってしまうのだろう?」と頭脳を120%働かせているから楽しいんじゃありませんか。
まずは考えてみる。予想することから始めてみましょう。
わからない、わからないとばかり言っていないで。。。